第2回経営者インタビュー、焼き肉「百済」“金輝将”氏にインタビュー!

常に自分自身を見つめ直しステップアップを続ける情熱の男

常に大勢の人で賑わう足立区梅島の焼き肉「百済(くだら)」。
お客様とは常に笑顔で接する オーナー金輝将氏に、ルーツと今後の展開、そして肉への熱い思いを語ってもらった。 文=慎虎俊(シン・ホジュン)

―事業を始めようとしたきっかけはなんでしょうか。

私の家は貧乏でして、家庭環境もいい状況ではなく大学進学も望めませんでした。それだけに、将来は必ず経営者になりたいという気持ちがありました。その思いは成長しても変わりませんでした。20代になった頃には、「とにかくお金を稼ぐんだ」という一心で、とにかく頑張りました。若気の至りですが、なかなかヤンチャなこともしてきています(笑)。その結果、29歳のときにある程度の貯金もできました。このお金を元手に何かをと考えていたとき、長男の幼稚園入園の時期が近づきました。息子に胸を張れるように、ちゃんと表社会に挑戦したいと考えました。改めて考えると、きっかけは息子の存在ですかね。

―起業するにあたって焼き肉店を選択した理由はありますか。

起業する上でまず、自分に何ができるのかを考えたとき、まず飲食店が頭に浮かびました。 私は週に3日は焼き肉を食べにいくほどの焼き肉好きでして、幼い頃から生活に根付いた食べ物である焼き肉で勝負しようと考えました。ですが、私自身はこれまでの29年間、飲食業の経験がなく、飲食業界にはまったくの未経験の状態から飛び込みました。

―修行は大変でしたか?

実は、奥さんの実家が焼き肉屋を経営していまして、二ヶ月ほどじっくりと肉の修行をさせてもらいました。1月に修行を終えた後は、物件を探し回った末に4月10日にオープンにいたしました。

―「百済」という店名はどういう風に決めましたか?

20代の頃の私は、かなりヤンチャなことばかりしていて、「今の生き方でいいのか?」と考えるようになりまして、本とかを読むようになり仏教と出会いました。そこで日本の仏教は百済の仏教が大きな影響をもたらしたことを知りました。また、百済の人と日本の交流は深いことにも興味をもちました。それと、私のハラボジが全羅道(チョルラド)出身ということもあります。全羅道の地域は元が百済でしたし。それらを踏まえて、百済の名前を店名に頂きました。「かつての百済」のように日本の人たちに焼き肉文化をもっと広げていけることが目標です。

―店舗経営におけるこだわりの部分を教えてください。

お店の料理。特にお肉に関しては、スタッフ含めて私が一番情熱や心意気があります。そのため、アルバイトの子たちにも基本的に触らせないで、肉は私がすべて下準備しています。これがこだわりです。もちろん、スタッフの子が覚えたいといえば、覚えさせることもあるでしょうが、基本的には私がやります。ですから、味が変わりません。そのため、私がいない日は、百済はお休みです。これは、経営者としは下手なやり方だと思いますが、これがこだわりです。

―常に心がけていることはありますか。

お客様がご来店されたときは、うちでお金を使ってくれるので、絶対に満足させていただきたいと思っています。「今日は百済に来てよかった」と思って貰えることが結果的に、なにかあったときに、「じゃあ百済いこう」ということに繋がると思っています。あと、お客様が帰るときは、どんなに忙しくても私が外まで見送るようにしています。

-肉を扱う上で特に気をつけていることはありますか。

技術的なものはキリがないので割愛します。まず、厨房器具がすべて清潔であることが第一条件で、その上でスピードです。お肉が傷んでしまうので。後はひと肉ひと肉がちょうどいい大きさになるように心がけています。このように、丁寧さとスピードの両立を目指していますが、そのためには体調管理も大事です。体調が悪いと肉の切り方にも影響が出てきます。若い頃は二日酔いで営業したりとかもありましたが、今は絶対にありません。

-オープンから 13 年とお聞きしましたが、一番の変化はどこにありますか。

10年もあれば人間は変わります。10年は長いです。あっという間という人もいますが、 僕の中ではとても長かったです。10年間お店をやる上で、私は常に自分自身を見つめ直し続けました。20 代の頃は、ただガムシャラに。ある意味デタラメな人生を歩んできましたが、この10年間ですべては自分に返ってくることを学びました。因果応報というヤツですね。悪いことはしたら自分に返ってきますし、いいことをしたら必ず報われます。自分の人生なので、すべては自分が造りださなければならないのです。そういうことをこの10年間でわかることができました。それがわかったおかげで、どんな結果になろうと他人のせいにしなくなりましたし、他人の評価も気にならなくなりました。

-意識の変化が重要ということですね。

意識が変わらないと人間は変化しません。自分の中で「何が必要」で、「何が必要ではないか」を見極めるようになりました。その中で、私は人と遊ぶことを我慢するようになりました。友人や知人と集まろうとするとき、「これは自分にとってプラスになることだ」と、逃げ道を作りがちです。私はそうした考えを改めることを10年間で追求してきました。

―未経験からの出発ということでしたが、大変なことも多かったのではないですか。

頑張ってもお金が付いてこないことですね。経営するためにはきれい事を抜きに、利益がでないと潰れてしまいます。結果として負債を負うこともありましたし、生々しいお話ですが本当に資金繰りには苦労しました。やはり、考えが甘かったのもあって、集客にはかなり苦労しました。また、オープン当時は腕がなかったのでハッキリといって美味しくなかったと思います。10年以上やった今、お客様に出せるギリギリのラインにはきたと思っていますが、 自信はまだありません。いつも「これでいいのか?」と苦慮しています。それで改良を常に意識しています。

-集客対策にはどう取り組みましたか

暇な時でもスタッフをちゃんと揃えました。お客様がいつ来店されても最高のおもてなしができるように。また、お客様が少ないと、仕込みを抑えがちなのですが、それだけはしないように心がけてきました。その結果、お客様がきたときの満足度がじょじょに増えていったと感じています。後は、お店を休まないことですね。最初の頃は、年間で5日も休んでいませんでした。今はちょっとお休みもいただいていますが(笑)。実力がないと思っていましたので稼働時間を上げるのを意識しました。私は運良くやることができましたが、マネをするとからだも壊すしオススメはできません。本当にキツいです。昨年も2回手術しましたが、その翌日にはお店を開けていました(笑)。

―今後の経営方針を教えてください

まず、オープンして10年以上たつので、店内をリニューアルしたいという気持ちがあります。やることはいつも変わりません。いらっしゃるお客様に対して、精神誠意対応できるように、おもてなしできるように体調万全で準備すること。あとはモチベーションです。飲食店の店員でよく不機嫌な人いるじゃないですか。あれって単純に疲れているんですよ。その気持ちはすごくわかりますが、それはプロではないと思います。常に機嫌よくお店を開けられるために、体調管理と生活リズムを安定させることは意識しています。とにかく、いいわけはしません。すべては自分の責任ということです。

―読者にメッセージをお願いします。

仕事に身を投じてください。どんなにきれい事を言っても、仕事をしていないと、社会で は通じないと思いますので。一番の理想は一生貫ける仕事をもつことだと思いますが、それは人によって違います。私は幸運にも一生貫く仕事を見つけられたと思っています。とにかく、仕事に身を投じてお金を稼ぐことができたら、自分の中にあるきれい事を表現できると思います。何をするにも、その人の力が兼ね揃えられていないと意味がありません。たとえば、青商会活動や慈善事業などです。あくまでも自分の生活があってこそだと思います。自分の生活がなりたっていないのに、そのきれい事を貫き通すことは絶対に不可能だと思うので、まずはご自身の生活や仕事を徹底的に追求してください。その上で、同胞のために学校のためにという活動をやって欲しいと思います。最後に、何よりもすべての原因は自分にあると思ってください。この世は因果応報です。何かうまくいかなくても、環境のせいにはしてはいけません。すべて自分の責任です。これから先、一寸先はいつ闇がやってくるかわかりません。それを乗り越えるのは、他人の力ではなく、自分の力だと思います。これからも、個々の力を高めつつ、みんなで力を合わせて高め合いましょう。

PROFILE

金輝将(キム・フィジャン)
1976 年 9 月 24 日生まれ。小学 2 年生まで、足立区立本木小学校に通った後、東京朝鮮第 四初中級学校転入。その後、中学・高校と朝鮮学校で学業を修めた後に、朝鮮大学師範教育 学部に入学するも 1 年 2 ヶ月後中退。その後はアルバイトや職を転々としながら様々な経 験を積み、32 才、長男の幼稚園入園を機に、飲食業界に挑戦、焼肉店「百済」を開業。現 在、開業から 13 年目、只今まだまだ奮闘中‼️

焼き肉「百済」
○住所:東京都足立区梅島1-7-10
○電話番号:03-3840-8629
○定休日:不定休
○Web:https://tabelog.com/tokyo/A1324/A132404/13107587/

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