第1回経営者インタビュー、老舗パチンコ「キューデン」の経営者“呉時宣”氏にインタビュー!

社員全員の自主性を尊重するスタイルを重要視するワケ

老舗パチンコ店「キューデン」。地域密着型の店舗として常連さんで賑わうホールを代表取締役呉時宜氏に、企業運営の理念や同胞社会の今後について語って貰った。 文=慎虎俊(シン・ホジュン)

―パチンコ屋を始めようと思ったきっかけはなんですか。

当時、高校生だった私は、特に勉強もしないでブラブラしていました。親は「朝大に行け」 と言っていましたが、そんな気はありませんでした。実際、兄貴は勉強するために朝大に行きましたけど、私は次男坊でして(笑)。その状態を続けていたら、見かねた親父が「しょうがないから店でも手伝え」となりました。当時(のキューデン)は、2階が喫茶店で3階が雀荘でして、事務をしながら喫茶店を手伝ったというのがきっかけです。私が19歳くらいだった当時のパチンコ店は、従業員はおっさんばかりでした(笑)。ところが、人手不足 やトラブルが重なりまして、パチンコ店の方も手伝うようになりました。

―「キューデン」の屋号や親会社である「興和商事」の由来を教えてください。

興和商事の由来は先代からは聞いたことがありません。「キューデン」の屋号は、当時二 階が宮という喫茶店だったことが関係しています。二階が喫茶店で、下が玉を扱う商売だから「玉=殿」ということで、合せて「宮殿(現在のキューデン)」という屋号になったと聞いています。

―経営面でのこだわりはありますか。

CS(顧客満足度)という言葉があります。お客様商売なので当然CSはとても大切ですが、私自身はES(従業員満足度)が一番大事だと思っています。実際、従業員が仕事をしてくれるわけですので、従業員が満足できる職場になることに力を入れるのが大事だと思って経営してきました。そのため、10年くらい前から、様々な分野の講師を招いたり、勉強会を開いたりしています。ぜひ、会社のホームページを見てください。企業理念も、最初 に従業員やその家族の話から始まり、その後にお客様のお話が出てきます。

―どうやって Credo を決定したのですか。

企業全体の従業員が心がける信条を Credo(クレド)と言います。Credo を作るにあたって、全社員やアルバイトもひっくるめて、「何に力を入れたらいいのか」という意見を、全員で出し合いました。そこには社長も会長もありません。そうして、完成したのが現在の Credo です。幹部社員だろうがアルバイトだろうが関係なく、最大公約数でまとめた意見がうちのCredoです。そういう意味では、スタッフには会社でやりたいことを提案して欲しいし、それを実現する方法を模索するのが大事だと私は思っています。

―スタッフさんたちもやり甲斐があるでしょうね。

従業員の意見を尊重する形で動くので、私から「何かをやれ」と命令することはありません。みんな自分たちで考えて動きますので。基本的に、私はスタッフたちに、「これは駄目」 ということはほとんどいいませんし、やりたいことは積極的に支援します。例えば、違う分野の会社を作ってやりたいという人もいたときは、それもやらしてみました。ですが、スタッフの意思を尊重しますが、やるといった以上は自分で責任をもってやらないといけないとも思っています。それが社会人ですから。

―社長に就任されて10年くらいということですが、その期間にあった変化はありますか。

10年前といいますと、ちょうど震災がありました。その時期を契機に、みんな意識が変わったとも思っています。会社に対して、仕事に対してのね。あの時は、自分の生活がすごく脅かされましたし、会社も潰れてしまうのではという恐怖がありました。経済的にも世の中がおかしくなっていたので、その影響から逃れようと、みんな必死になるようになりました。それが一番大きな変化かな。

―1番苦労したことはなんですか。

特に思い浮かびませんね。我々の業界は私が入ったときはインベーダーゲームの全盛期で、 パチンコは人気も高くなくて閉店する店も多くありました。パチンコ自体も一箱出たら「も の凄く出た」みたいな感じでして、それくらい小さな商売でした。売り上げも現在の5分の1とか、10分の1以下くらいでしたね。ですが、私が入社した21歳すぎくらいに、新しいタイプのパチンコがどんどん出てきまして、爆発的に売り上げが上がりました。業界全体で1兆円産業にほとんど1年くらいでなりました。いろいろな苦労話もありますが、みんな懐かしい話で、特に苦労という感じではありませんね。

―今の時代とはぜんぜん違ったんですね。

私が若かった頃は、バブルの時代でみんなアバウトでした。逆にいいますと今の若い子た ちはみんなシビアで、悪い意味ではなくて人生設計をしっかりやっていますね。ですから、 我々世代の人間は基本的に、将来のことなんてあまり考えていませんでした。苦労しても結 果に結びつく時代だったので、苦労も楽しかった思い出です。そう考えると、今の子たちは 頑張っても結果がでないことが多くて、それがかわいそうだと思います。我々の時代は、バブルで日本経済も右肩上がりで一生懸命やっていたら、ある程度結果がついてきたから楽 しかったですね。

―今後の展望は?

我々の商売(パチンコ業界)というのは、地域によって違いはありますが、日本社会にお いてまだ必要とされていると思います。当然、徐々に少なくなっているのは当たり前ですが、 まだまだ生き残っていくと思います。求められている間は、キチっとやっていこうと思いま す。また、ここ 5 年から 10 年で世の中は急速に変わったと思います。特に IT とかですね。 IT の変化はとても早いです。これからの 5 年や 10 年というは、これまでよりも変わるスピ ードが段違いに速いと思いますので、それに対応していく必要があります。ですから、パチ ンコにこだわるだけではなく、他の業種にも多角的に参する必要があります。この商売だけ では先が見えていますので……。

―ここまで読んでいただいた読者の方々にメッセージをお願いします。

私よりも先輩たちもいるでしょうし、難しい質問ですね(笑)。まず、コロナ禍の中で、 これまで在日がしてきた主な産業であるパチンコや不動産、飲食だったりが厳しくなって
います。私は二世ですが、一世の方たちは、日本に来て苦労して切り開いてきた商売の枠組 みや同胞社会を築きました。その頃のことを考えると我々の時代は、まだまだ全然だと思い ますし、もっと頑張れます。やはり、物事には「根」があり、それが「花」になります。そ の「根」を植えてくれたのが先人たちです。ですから、そのことを我々はもちろん、後輩た ちもちゃんと理解しなければなりません。一世の方たちは自分たちの生活や権利を勝ち取 るために必死でした。それを受け継いだ二世である我々が商売をやってきましたけど、これ から複雑になる世の中で、大事なのは「人に。社会に役に立つ」ことだと思います。必要と される物や人間にならないと生き残るのは難しいでしょう。ましてや民間で宇宙に行くよ うな時代ですから。真剣に語学を含めた子供たちの教育をしっかりしなければなりません。 これからの時代、英語がわからなければ外で仕事をするのも難しいでしょう。そういう事ま で含めて、私やみんなが考えないといけません。今は地球の裏側とだってリモートで商売を やる時代ですから、そういう意味では子供たちのアボジたちが、子供たちのために何ができ るかを真剣に考えて、真剣に動いていると思います。実行に移していくというのが大事だと 思います。偉そうなこといって申し訳ないですが(笑)。

PROFILE

呉 時宣(オ・シソン)
1957年12月19日生まれ。在日二世として一世が築いた伝統を尊重しながら、次の世代へ繋がる会社経営を行っている。西新井や日暮里のキューデンは老舗のパチンコ店として、地域の人に愛されている。
株式会社興和商事
パチンコ店及びビジネスホテル経営
住所:東京都荒川区東日暮里5丁目52−7 光ビル 電話番号:03-3805-6680
WEB:http://kowasyoji.com

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